「五百羅漢図」に描かれているのは、500人の羅漢たちによって繰り広げられる、全100編のスペクタクル巨編。
本展ではそのすべてを、全期間通して一堂に展示いたします。
お経を読んだり、身だしなみを整えたり。一大巨編のプロローグは、羅漢達の穏やかな日常生活で幕を開けます。
第9幅 浴室(部分)
仏につかえる者は、身だしなみを整えるのも決まりのひとつ。ヒゲの手入れも、そり残しがないよう念入りに。
新たに仏道に入る人を迎える儀式や、自己反省の集会といった、仏教の世界へと人々を教え導く、日々のお仕事。そんな羅漢たちのいわゆるお坊さんとしての活動が、具体的に描かれます。
第17幅 剃度(部分)
髪を剃って、仏道入門の準備を進める少年たち。剃ったばかりの頭に手をやって照れくさそう。彼らを、羅漢は手伝い、優しく見守ります。
全100幅のなかでも最も一信の集中力がみなぎる、第21幅から第40幅。天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄。
この生きもの全てが死後生まれ変わり続けるという六つの世界「六道」をめぐり、羅漢たちは救済を行います。
第30幅 六道 畜生(部分)
六道のうち畜生界に生きるお猿さんには、腹に秘めた仏をぐいっ。言葉は通じない相手にも、仏の教えを伝えます。
第23幅 六道 地獄
天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄。六道のなかでも最も下層にある「地獄」のおぞましさと苦しみは、目を覆いたくなるほど。羅漢の放つ光線が一筋の救い。
衣食住の欲望を振り払うため、あらゆるなかでも最も重要とされる十二の修行。古い衣を拾って縫い直したり、断食をしたり、墓地で瞑想をしたり。厳しい修行に羅漢たちは励みます。
第49幅 十二頭陀 冢間樹下(部分)
野犬や餓鬼がうごめく墓地で行う修行の様子。極端な陰影と相まって、なんとも不気味な雰囲気が漂います。
人間以上、仏未満の羅漢達は、多彩な神通力、すなわち超能力を発揮します。奇想天外な構想が際立つ、中盤のハイライト。
第51幅 神通(部分)
羅漢さんが念じれば頭から水だってこの通り、渇きに苦しむ生きものを助けます。力んだ感じがなんともリアル。
知っているひとにどこか似ている、そんな人間くささも、五百羅漢の魅力のひとつ。霊獣たちを可愛がる羅漢達は、濃い顔をにんまりさせてペットを可愛がる、隣のおじさまそのものです。
第61幅 禽獣(部分)
羅漢さんご自慢のペット、ウロコが生えた、一本角の鹿。耳掃除をしてくれる羅漢に、目を白黒させています。
作善や供養とは、どちらも仏に対する善い行いのこと。仏像を洗い清めたり、羅漢みずから新しいお寺を建設したり。さまざまな方法で、仏を敬う行動を重ねてゆきます。
第78幅 堂伽藍(部分)
設計から資財調達、力と技の大工仕事まで、自らこなす羅漢たち。鬼も手伝う、驚きの建築現場は必見です。
七つの天災や人災の危機から人々を救い出すエピソード。地震をはじめとした現代の私たちにも深く関わる災害から、鬼や盗賊たちが襲い来る恐怖まで。人々を襲うあらゆる苦しみに、羅漢たちは救いの手を差し伸べてくれます。
第84幅 七難 風(部分)
全体が黒く塗り込められ、不安が漂う画面。突き刺さるような強風の合間から、羅漢は救いの手を伸ばします。
最後の十幅は、世界の中心にあるとされる須弥山を囲む、四大陸をめぐる羅漢たちのエピソード。しかし一信はこの頃すでに病を患い、無念にも最後の四幅を残して亡くなり、残りは弟子たちが仕上げたと伝わります。次第に弱々しくなっていく描写は、奇しくも物語のエピローグと重なってゆくのです。
第98幅 四洲 西
牛馬や牛を育てて交易する西洲。穏やかな雰囲気と、茜色に染まる空が、全体のエピローグを予感させます。
「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」
安政三年(1856)~安政五年(1858)頃
大本山成田山新勝寺蔵
大本山成田山新勝寺に伝わる「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」は、一信が手がけたなかでも、最も壮麗な作品です。安政五年(1858)に完成した成田山新勝寺本堂(現・釈迦堂)のために描かれた壁画で、現在は4×5メートルからなる巨大な掛軸となっています。本展覧会では、一信の篤い信仰心を伝えてくれるこの迫力ある大作も、合わせてご覧いただきます。
近年、「五百羅漢図」をきっかけとして、急速に狩野一信への注目が高まるとともに、彼が手がけた作品も少しずつ世に知られるようになってきました。本展では展覧会初出品作を含む五点を通じて、次第に全貌を現しはじめた、絵師・狩野一信の優れた画業の一端もご紹介します。
「布袋唐子図」安政三年(1856)〜文久二年(1862)頃 個人蔵
「東照大権現像」
安政二年(1855)
公益財団法人德川記念財団蔵