ナント市の中心部、サン・ピエール・エ・サン・ポール寺院やブルターニュ公城などナントのシンボルとなる歴史的な建造物の近くに建つナント美術館は、1801年に開館した200年以上の歴史を持つ美術館です。フランス革命後、ナポレオン・ボナパルトが樹立した執政政府の命により設立された14の地方美術館のひとつです。 1830年にはもと布地市場だった建物で美術館のコレクションが公開されるようになりましたが、1891年にガラス屋根に覆われた四角い中庭を取り囲む、宮殿のような方形の建物が美術館として建設されました。ギリシャ神殿のような柱と人物彫刻や紋章装飾が正面に飾られたこの建物が現在まで美術館として使われていますが、200年にもわたって収集されてきたコレクションには手狭となり、2011年9月から現在まで、さらに増改築の工事が進められています。
13世紀イタリア絵画から現代絵画まで幅広いコレクションを持つナント美術館ですが、中でも美術館と同じ時代を歩んできたフランス美術のコレクションには定評があります。18世紀に貿易で栄え、さらに19世紀には砂糖や石炭など原材料の輸入と工場生産品を輸出することで経済的に豊かになったナント市には文化を支えるコレクターたちがいたのです。 ウルヴォア・ド・サン=ブダンはナントに生まれ、政治家として活躍した熱心なコレクターでした。彼が収集した作品、ポール=エミール・デトゥーシュの《仮面舞踏会をひかえて》(no.4)は、1831年に発表された作品。仮面舞踏会のためのマスクを持ち、白いエプロンをつけた魚河岸娘の扮装をした娘を描いたこの作品からは、このあとの舞踏会の展開はどんな様子なのか想像が広がります。 アルフォンス・ド・フェルトル伯爵はパリのコレクター。そのコレクションがまとまってナント美術館に遺贈されました。この寄贈によりナント美術館には特別展示室が設けられ、近くの通りは「フェルトル通り」と改名までされたほど。ポール・ドラローシュ《ピコ・デ・ラ・ミランドラの幼少期》(no.6)はそのコレクションの1点です。デトーシュの作品とともに、当時のコレクターたちにどんな作品が人気だったかがうかがえます。
19世紀後半から20世紀は、新しい表現が次々と生まれ、それぞれの画家たちが個性を競った時代です。移りゆく光のきらめきを写しとろうとしたクロード・モネ《ヴェネチアのゴンドラ》(no.26)、大胆な筆致で咲き誇るアネモネの花を描いたルノワール《アネモネ》(no.27)、ダイナミックに男女を描くパブロ・ピカソの《カップル》(no.49)、甘い色調の優雅な女性を描くマリー・ローランサン《ユディト》(no.50)。印象派、フォービスム、キュビスム、エコール・ド・パリなど、フランスが新しい美術の中心地となり、世界中から芸術家たちが「芸術の都」パリを目指して集まりました。さまざまな個性が花開いた時代をお楽しみください。