9月2日の「自作を語る」で、県美展大賞作品「徳地に住んで見えてくするもの(色鉛筆で描く・・・)」の作者、吉村芳生(よしむら・よしお)さんに、自作について詳しく語っていただきました。
多くの人が集まって、吉村さんの話に聞き入っていました。
話をきいていて、この作品って、現在当館で上映中の「こま撮りえいが こまねこ」に、共通しているものがあるなと思いました。


一点目は、
とてつもなく、膨大な時間と労力の「手作業」によってつくられている
ことです。
色鉛筆であれだけ大きな作品を完成させるまでには、膨大な時間がかかります。吉村さんによると、6か月ほどかかったそうです。
一方、こま撮りえいがについては、一秒24コマのフルアニメを作るのがどれだけ手間のかかる仕事かは、いうまでもありません。

二点目は、
似たようなことがCGで可能であっても、それを用いない
ということです。
CG(コンピューター・グラッフィックス)技術の進歩は著しく、カメラで撮影した画像を加工して色鉛筆風に仕上げることはできます。
それを大きくプリントすれば<似たような>画像は作り出せます。しかし、それが吉村さんの作品のような迫力のある作品になるでしょうか?まず無理でしょう。
色鉛筆による手作業によってしか表現出来ない領域があるように思います。

こま撮りえいがも、技術的には、人形をCGで動かすことだって可能なわけですが、もし、そうやってできた映画で、こまちゃんの
あんなかわいらしい動きが表現出来たでしょうか?

やはり、アニメーターの峰岸裕和さん・大向とき子さんが、一こま一こま人形を動かしていくから、人形に魂がやどるのではないでしょうか。

ものづくりには、アナログな手作業でしか、つくりだせない領域というものがあるように思うのです。おそらく、理屈では割り切れないでしょう。

「こまねこ」の合田経郎監督からこんなメッセージがあります。

 ものづくりって
    なんだろう
 カタチや色をぬるって
    ことだけじゃなく
  作ったものから
   作った人の思いが
    伝わるってこと。
   思いを込めて作りました。
   楽しんで観てみて下さい。

このメッセージは、私たちは、美術作品だけにとどまらず、ものづくりをする「つくる」人、それを「みる」人、ものづくりを「ささえる」人、それぞれの立場で考えさせられるものがあるように思います。

そうそう
もう一つ共通するところがありました。
吉村芳生さんも、合田監督をはじめとするこまねこスタッフのみなさん(とくに峰岸さん)も、気の遠くなるような根気の要る作業が苦にならない(ように見受けられる)
ということです。

ただひたすら頭が下がります。
(くわしくは、こまねこのメイキングビデオをご参照あれ)



    *   *   *





 さて、ここで話を終えてしまうと、私はデジタル嫌い、CG嫌いで、一方的なデジタル・アート批判をしていると言われてしまいそうです。それもこまりますので、もう少しデジタルとアナログの問題を話したいと思います。
 実は、このブログの執筆者であるわたくしTGは、手で字を書くのが大嫌いです。生まれてこの方、長い文章を手書きで書いたことがない、手仕事嫌いのデジタル人間です。ですから、CGなどのデジタル・テクノロジーの活用を、やみくもに否定するつもりは毛頭ありません。

ですから「逆もまた真なり」ということもお話ししておきましょう。
ものづくりにおいて、それをどのような素材・技法によってつくりあげるかということが重要であることはいうまでもありません。アナログな手作業によるものづくりは魅力的ですし、つくる側にとっても、楽しい仕事です。しかし、一方で、手作業の楽しさ=その素材を扱う<技術>に満足してしまって、ともすると技術力の先にあるはずの<創作>の領域に行き着かないものづくりをしてしまうことはないでしょうか?
あるいは、素材のもつ力にだけ頼って表現してはいないでしょうか。いくら素材がよくても味付けが悪ければ、おいしい料理にはならないはずです。<カタチや色をぬることだけ>で終わってしまってはいけないのです。

これは、CGのようなデジタル・アートにもあてはまります。ソフトウェアの力に頼って、そこそこきれいに仕上がっているけど、独創性のない無味乾燥な作品が出来上がってしまうことはないでしょうか。

<作ったものから作った人の思いが伝わるってこと。>
そのために、どんな素材・技法を使うのか。
書・陶芸・写真といったジャンルの存在しない山口県美術展覧会では、あるジャンルの中での技術的評価が通用しないことがあります。それだけにジャンルを問わない作品審査では
「なぜ、その素材・技法を使って表現するのか」
が問われるのです。
陶芸の公募展に陶芸作品を出品するのは当然です。
しかし、山口の県美展では、「なぜ、陶芸作品をジャンルなしの公募展に出品するのか」も問われることになるように思います。
つまり、
「その素材・技法でなければ表現出来ないもの」
を突きつめることが、絵画やインスタレーションに負けずに入選を果たす重要なポイントになってくるような気がします。


「こま撮りえいが こまねこ」が、なぜ着ぐるみでなく、CGでなく、
こま撮りなのか。
やはりこま撮りでなければ表現出来ないものが
あるからではないでしょうか。(私がもっとも印象的な場面は、森の中でいぬ子が首を振ったときに、耳が微妙に揺れるところ。CGぢゃぁ、この繊細な感情表現はできませんぜ!?)

だから、安易な<技術>に
逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!


(ありゃ。また、某アニメネタに走ってしまいました。)