雪舟 等楊
《牧牛図(渡河)》
- 室町時代 15世紀
- 紙本墨画淡彩
画面の左下の団扇形の枠線の内側に「雪舟」という署名が記され、枠線の外側、画面の左下隅に、「李唐」という13世紀初めの中国人画家の名前が記されています。雪舟が、中国の古典的な名画をお手本に描いた一連の作品のうちの一枚です。画面には、河を渡る水牛の背に、つばの広い笠をかぶった親子が向かい合ってまたがっている姿が描かれています。水牛の歩みが水面に作る波紋を、柔らかい線を用いてとても巧みに描きだしています。画面左側の崖を描く部分、竹林の根元辺りに、小さな虫喰いの跡がありますが、もう一幅の牧牛図(牧童)にも画面の同じ部分に虫喰い跡があります。つまり、これら二枚の絵は、ある時期、表装を取り外した形で重ねて保存されおり、その時に虫が喰って穴が開いたのだということが分かります。これらの雪舟の団扇形をした一連の作品は、本来は掛け軸ではなく、画帖(アルバム)などに貼られていたものと思われます。
作家プロフィール
雪舟 等楊【せっしゅう とうよう】
生没年 1420~ca.1502(応永27年〜文亀2年頃)
室町時代の山口で活躍した、日本を代表する水墨画家。備中国(現在の岡山県)に生まれ、京都・相国寺で名人・周文について画を学びました。1454年(享徳3年)頃から大内氏の庇護を受けて山口に移住し、その後は山口を拠点として活動しました。1467年(応仁元年)には、遣明使に参加して中国に渡り、本場の水墨画を学んでいます。堅固で構築的な空間構成がその画の最大の特徴とし、個人としては最多の6点が国宝に指定されています。