山口県立美術館|山口県山口市

雪舟等楊像

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雲谷 等與
《雪舟等楊像》

  • 寛永16年(1639)賛
  • 絹本着色
画像:雪舟等楊像

雲谷派3代・等與による、室町時代の画僧・雪舟71歳の肖像。雪舟が中国(明)で入手したとおぼしき帽子をかぶる姿が特徴的です。
本作は等與が、雲谷派宗家の家督を継いだ記念として描いたと考えられています。もとになった絵は雪舟が弟子・秋月等観に与えた自画像。禅宗では弟子が師の肖像を描かせ、その上部には師に賛文(詩文)を書いてもらうことで、師の法を継いだ証としました。雪舟の自画像も秋月への画法伝授の証なのでしょう。
画面上部には、雪舟の代わりに大徳寺169代の住職・天祐紹杲が賛文を記しています。文中には「画系五世之孫等與」と記され、等與が雪舟から5代目の画家であることが示されています。大徳寺は「一休さん」でおなじみ日本を代表する禅僧を輩出した寺院。その由緒ある大徳寺の住職に、雲谷派が「雪舟の画法の継承者」であると認めてもらったのです。まさに雪舟の後継者・雲谷派を象徴する作品といえるでしょう。

作家プロフィール

雲谷等與【うんこく とうよ】

生没年 1612~1668(慶長17年~寛文8年)

雲谷等益の長男として生まれ、雲谷派3代目を継ぎ「雪舟五世」を称しました。萩を拠点に京都・大徳寺碧玉庵(へきぎょくあん)の襖絵制作を行い、明暦元年(1655)には京都御所の障壁画制作に参加。寛永16年(1639)法橋(ほっきょう)、寛文7年(1667)法眼(ほうげん)に叙任。等益様式を継承しながら、琳派(りんぱ)的作風など時代の流行も取り入れた画風を展開しました。

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