第二章 蒙古襲来と運慶流 −湛康門流の活躍

(五代)湛誉・湛真 十一面観音像 1315(佐賀・東妙寺)
(五代)湛誉・湛真 十一面観音像
1315(佐賀・東妙寺)

中世の日本をゆるがした蒙古襲来(元寇)は「神仏の戦い」でもあった。日本全国で祈りがささげられ、異国と戦う新たな仏像が必要とされた。戦闘の最前線であった九州の地に進出したのは、運慶流の仏師である。なかでも運慶四代の湛康とその門流の活躍は際立っている。かつて運慶がつくり出した力強く迫力のある仏の姿が、戦災を退け安寧をもたらす祈りの対象として求められ、その後継者である彼らが起用されたのである。