第三章 蒙古襲来から 南北朝の内乱へ −康誉と康俊

(五代)湛誉作 如意輪観音像 1340(福岡・大興善寺)
(五代)康誉作 如意輪観音像
1340(福岡・大興善寺)

(六代)康俊(東寺大仏師)作 金剛薩埵像 1359(兵庫・圓教寺)
(六代)康俊(東寺大仏師)作
金剛薩埵像
1359(兵庫・圓教寺)

元弘三年(1333)鎌倉幕府の滅亡とともに、南北朝の内乱という新たな戦の幕が上がる。仏師も世の流れと無縁ではない。鎌倉時代の余韻をのこす重厚な仏像が造られなくなったわけではないないが、京の都ぶりを示す華美で定型的な作風が一世を風靡する。運慶流にも転機が訪れたのであろう。運慶五代の康誉と、運慶六代の康俊(東寺大仏師)の作風の違いは、この時代の転換を反映しているようにみえる。